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国家元首たちの思い: 世界文化遺産の中でも、秦始皇帝の兵馬俑ほど世界各国の元首・指導者たちが訪れた場所はありません。その最大の理由は、その規模の大きさとか、当時の文明が想像を超える先進性をもつという面もありますが、それらの理由とは別に、始皇帝があの広い中国を2000余年も前に統一したこと。法律をつくり、度量衡を制定し天下に広く実行させるという偉業を成し遂げた偉大な為政者であったという事実が、現代の世界各国の政治家たちをこの地に惹きつけるのだと思います。 兵馬俑建造の目的が、自らの墓を俑(陶製の人形)の兵士や軍馬の部隊で守らせようとしたことにあったとしても、これだけの規模、そして専門知識者・技術者を国中から無数ともいえるほど数多く集めた力。さらに紀元前の構築・製作物にもかかわらず、現代科学をもってしても解けぬ製作技術の先進性の謎など。 始皇帝が完全に国家を統一しだけでなく、いろいろな人智を集約させることの出来た稀代の為政者であったこと。またどのような方法でこんな大規模な専門技術者を集め、集団チームを編成したのか・・・・。なども現代の指導者を惹きつける大きな魅力に違いありません。 以下、兵馬俑を訪れた世界の国家元首・首脳などの主要人物を紹介しましょう。(来館年代順) |
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私たちはこの写真集編纂のための現地取材をきっかけに博物館の方々と交流の機会に恵まれました。博物館の館長呉永琪氏をはじめ主要スタッフの方々のお陰で、この写真集を画報的な面白さとともに学術的にも優れた図書として完成させることが出来ました。博物館のスタッフの方々に心から感謝しています。 小さな日中共同事業ですが、兵馬俑という歴史的文化芸術世界遺産をプリント媒体によって日本中にひろく報知する仕事の大きさは計り知れない価値があると確信しています。 ここで簡略ですが呉永琪館長さんのお人柄についてご紹介をしましょう。 1951年北京生まれ 北京育ち 身長170cm 90kg の偉丈夫ですが、中国における考古学の第一人者。秦始皇兵馬俑発掘~博物館一筋という誠意の現場人です。国家科学技術進歩賞を2回受賞されています。 現場としては、主に2号坑発掘の直接責任者、また銅車馬発掘・修復に尽力し現在はとくに彩色兵馬俑の保存技術に取り組んでおられます。また中国のみならずエジプト(プトレマイオス)、ヨーロッパ(ルネサンス)も詳しく研究されています。 日本の味噌汁が大好き、自宅に日本のタタミの部屋を作っているほどの日本びいき人です。 呉永琪館長の理念が分かる言葉:京都講演後のある質問の回答 「兵馬俑のこれからの発掘をどうお考えですか」に対し 『無理に発掘をすることには問題があります。もともと兵馬俑は全て着色されており、芸術的にも強い訴求力を持つ創作物です。兵馬(俑)をはじめ種々の工芸品・考古物の色は空気に触れると酸化によって脱色してしまう。一旦脱色すると復元できなくなり取り返しがつきません。いろいろな有機物反応などについてはまだまだ予測できないことも多いのです。じっくり研究し、発掘前の状況をそのまま保つ方法が開発されるのを待つことが最も重要なのです。それまで、現状を保護することがまず大切。それをするにも最低限の条件として現状の維持・保護のための研究を続けなければなりません。 これは私の個人的な考え方・じつはホンネなのですが、始皇帝を尊敬・敬愛する私としては、発掘より、安らかな眠りをお守りするのが私の役割と考えています。その考えは現在の私の役割と矛盾しているかもしれませんが、これからもこの考え方で取り組んでいきたいと思っています。』(会場から大きな拍手がおこりました) 最後に私たちに対して『秦の兵馬俑写真集の日本での出版に厚く感謝します、そして、その出来栄えは博物館として高く評価致します。この写真集により日本の方々の兵馬俑博物館への関心が一層深まることを願っています』。とお褒めの言葉まで頂戴しました。 |
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